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スクウェアが1996年当時、任天堂とジャストシステム3社で新会社を設立して、N64向けソフトを作る体制を整えていた中、離脱してPSに行った事が明らかに



スクウェアが1996年当時、任天堂とジャストシステム3社で新会社を設立して、N64向けソフトを作る体制を整えていた中、離脱してPSに行った事が明らかにとしていて、これは任天堂も怒るよねという話の1つになっているみたいですね。


すでにご存知の方も多いだろうが、1997年にプレイステーション1で『ファイナルファンタジーVII』が発売される前、スクウェアは当初、ニンテンドー64向けにゲームを開発する予定だった。

しかし、プロジェクトの規模が大きすぎたことと、任天堂がカートリッジベースのメモリーストレージに固執することを決めたため、スクウェアは結局、プレイステーションのCD-ROM技術を活用するために、1996年2月にソニーに亡命することを決めた。

当時、このニュースは業界に衝撃を与え、スクウェアと任天堂はその後、疎遠になった。

ファイナルファンタジーVIIのキャラクタープログラマーであるHiroshi Kawai氏は2017年、Polygonのマット・レオーネ氏に、任天堂がこの決断の後、スクウェアソフトに『二度と戻ってくるな』と言ったほど、この分裂はひどいものだったと語っており、任天堂が裏切りの後、このデベロッパーと関わりたくなかったことを暗に示している。

この話はYouTubeの動画や記事で何度も何度も語られてきたが、最近まで私たちも知らなかった興味深い部分があり、スクウェアが離反する前にN64のためにかなり大きな計画を持っていたことが明らかになった。

N64DDの特集のためにN64の歴史を調べていたところ、1995年11月1日発売の古いGame Machine誌で、スクウェアが1995年10月に自社、任天堂、ソフト開発会社のジャストシステムからなる5億円の合弁会社を立ち上げ、『64ビットの家庭用ビデオシステム『ニンテンドー64』用のソフトを開発する』予定であることを発表したという興味深い記事を見つけた。

この記事によると、スクウェアが70%(200万ポンド、3億5000万円相当)、任天堂が20%、ジャストシステムが10%を出資する予定だった。この新会社の社長には、スクウェア・ソフトの鈴木尚副社長も就任する予定だった。

しかし、歴史が物語るように、これらの計画は何一つ実現せず、スクウェアはわずか数ヵ月後に任天堂との決別を決め、N64を完全に放棄した。


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スクウェアとジャストシステム、任天堂3社で会社を作る予定まであったのに、それを破談にしてまでPSに行ったのなら任天堂が激怒しても不思議はないですね。蜜月関係はこの時崩壊して、今またソニーに近いですね。

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