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桜井氏、小島監督、田尻氏、中村氏など、日本を代表するゲームクリエイターの若かりし頃に手掛けたファミコン世代向けタイトルを紹介!



桜井氏、小島監督、田尻氏、中村氏など、日本を代表するゲームクリエイターの若かりし頃に手掛けたファミコン世代向けタイトルを紹介!としていて、ある意味原点となった作品や、その後に繋がっていくアイディアなどがあったみたいですね。


傑作ゲームを生み出した名クリエイターたち。現在では最新機種にて新たなゲームをファンに届けている彼らは、まだハード性能が乏しかったファミコン時代にはどのような作品を作っていたのか。

 今回は『スマッシュブラザーズ』シリーズを生み出した桜井政博さん、『メタルギアソリッド』シリーズを手がけた小島秀夫さん、『ポケットモンスター』シリーズの生みの親である田尻智さん、『ドラゴンクエスト』『風来のシレン』シリーズを手がけた中村光一さんなど、名クリエイターたちの「初期作」を振り返りたい。

■『スマブラ』生みの親・桜井政博さん…初代『星のカービィ』では、あのキャラのドット絵は使いまわし
『星のカービィ』と言えば、敵を吸い込んで吐き出し、そして空を飛ぶという丸いピンク色の可愛らしいキャラクターで知られ、初代から30年以上にわたって愛され続けている作品だ。このゲームの生みの親が桜井政博さんだ。初代『星のカービィ』は、1992年4月27日にゲームボーイで発売され、世界で500万本以上の売り上げ、大ヒットを記録した。

 初代『星のカービィ』の企画は、1990年5月頃に立案されたという。桜井さんが当時まだ19歳だったというから驚きだ。

 ただ、当時のゲームにはデータ容量の問題があり、現在のゲームと比べると極めて小さな容量で制作する必要があった。そのため、キャラクターのグラフィックは、ドット絵を再利用する手法が使われた。例えば、可愛らしい「ワドルディ」と一つ目の「ワドルドゥ」は同じドット絵を一部共有しているという。

 また、トゲトゲの無敵キャラで知られる「ゴルドー」も半分しかドット絵が使われておらず、もう半分は上下反転させるという工夫がされている。

 今では何十ギガバイトという大容量のゲームがある中、『ファミコン』や『ゲームボーイ』の時代は、今のスマホ画像1枚にも満たない容量で魅力的な作品を制作するために工夫が凝らされていたのだ。

 そして驚きなのが、『スマッシュブラザーズ』シリーズの蓄積ダメージシステムは、初代『カービィ』の企画書上で考案されていたということ。初代『星のカービィ』では諸事情で没になったが、この時にすでに考えられていたとは驚きだ。

■『デスストランディング』小島秀夫さん…初代『メタルギア』はとある映画がヒントに
 続いて紹介するのは、『メタルギアソリッド』『デス・ストランディング』などの名作ゲームの生みの親であり、2024年には動画配信サービス「Disney+」でドキュメント作品『HIDEO KOJIMA:CONNECTING WORLDS』の配信が開始されたゲームクリエイター・小島秀夫さんだ。彼の出世作となったのは初代『メタルギア』。1987年7月13日にMSX2で発売され、その後、同年12月22日にはファミコンにも移植された作品だ。

『メタルギア』のゲームシステムは、主人公はほとんど何も持たずにスタートし、敵兵や監視カメラの視界を避けて進んでいく。発見されると敵兵が襲い掛かってくるので、いかに戦闘を避けて進むかというゲームデザインになっている。

 この「戦闘を避けて進む」というゲームデザインが採用された背景には、会社から「戦争ゲームを作って」という要望があったものの、MSX2の性能上、再現することが難しいという課題があった。

 そこで、ヒントになったのが、1963年に公開された映画『大脱走』。この映画では、連合軍兵士がドイツ軍の捕虜収容所から集団脱走を試みるストーリーが描かれており、その構造と思想から、「戦闘を避け、敵から隠れて進む」という逆転の発想が誕生した。

 そのゲームシステムが受け、長く続くシリーズになったのは言うまでもない。

■『ポケットモンスター』生みの親・田尻智さん…開発機材から自作した『クインティ』
 田尻智さんは、『ポケットモンスター』の生みの親として知られており、アニメ『ポケットモンスター』の主人公「サトシ」は、田尻さんの名前から取られている。

 そんな田尻さんのゲーム哲学は、「動詞がゲームを作る」という考え方だ。その哲学に基づいて「めくる」という動詞をアイデアにして生まれたのが、1989年6月27日に、ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)から発売されたファミコン用ソフト『クインティ』だった。

 『クインティ』は、プレイヤーがさまざまなキャラクターを操作し、床のパネルをめくって敵に攻撃したり、アイテムをゲットしたりするゲームシステムが特徴。その新鮮なゲームシステムが受け、販売は大成功を収める。

 その『クインティ』だが、田尻さんは当時ゲーム制作会社などに所属していなかったため、開発機材そのものを自作。数年の努力の末に完成した『クインティ』をナムコに売り込み、結果的に販売されることとなった。

 この成功により得た印税を資金に、株式会社ゲームフリークを立ち上げ、『ポケットモンスター』の開発に繋がっていく。

■「元祖天才ゲームクリエイター」中村光一さん…『ドラクエ』制作に関わるきっかけになった『ドアドア』
 最後に紹介するのは、中村光一さんだ。中村さんは、高校3年生の時にエニックス(現:スクウェア・エニックス)主催のゲームコンテストで入選し、そこで同じく入選した堀井雄二さんと邂逅。後に『ドラゴンクエスト』シリーズの制作に携わることとなった。

 中村さんの原点となったのは、そのゲームコンテストで入賞したパソコンゲーム『ドアドア』だ。当初はナムコの『ディグダグ』をコピーして応募しようとしたが、規定によりオリジナル作品を作ることに。『ディグダグ』の面白さの要素をそのままにできないかと考えていたところ、友達が教室に出入りする様子を見て、「これだ!」とひらめいたという。

『ドアドア』はファミコンなどにも移植され、ヒット作品に。そこで得た資金を元手に、仲間と「チュンソフト(現:スパイク・チュンソフト)」を設立。その後、「不思議のダンジョン」シリーズや「サウンドノベル」シリーズなどの画期的な作品を生み出すことになる。

 今回紹介したゲームクリエイターたちが持つ才能と情熱の深さは計り知れない。彼らの作品は、ゲーム業界に多大な影響を与え、数々のファンを魅了してきた。そんなクリエイターたちの創造性と革新性に改めて敬意を表したい。


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今を時めくゲームクリエイターの若かりし頃という事で、ファミコン世代の人は遊んでいる人がかなり多いタイトルといえそうですね。田尻氏はゲームフリーク前のクインティやその後メガドライブでもソフトを出していますね。

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