
『当時ゲームボーイで爆発的ヒットを記録、そしてメガドライブ版が発売中止の真相』指摘記事(リライト記事)。あれって任天堂が横槍を入れて・・・というわけではなかったみたい。その辺を詳しくチェック。
テトリス事件
1988年、セガはアーケード版テトリスを発売しました。テトリスといえば、言わずと知れた大ヒットパズルゲームです。セガは翌1989年にアーケード版テトリスをメガドライブに移植すると発表。
メガドライブのキラーソフトになると期待されました。しかし、発売予定の1989年4月15日を間近に控えたある日、メガドライブ版テトリスは急遽発売中止を余儀なくされました。
それどころか、その2ヵ月後にはライバル会社任天堂からゲームボーイ用のテトリスが発売されたのです。
いったい何が起こったというのでしょう?これにはテトリスにまつわる複雑な権利が絡んでいるのです。
そもそも、テトリスを最初に作ったのは、ソ連の"アレクセイ・パジトノフ"という人物です。ソ連は共産主義国家ですから、何かを発明しても権利は個人のものにはなりません。
テトリスの大元の権利を所持していたのは、ソ連の国務機関アカデミーソフトです。そして、アカデミーソフトからの委託でライセンス業務を担当していたのが、ELORG(エローグ)という組織です。
テトリスの面白さに目を付けたアンドロメダソフトは、エローグからライセンスを獲得します。しかし、エローグがアンドロメダソフトに許可したのはパソコン用ゲームに限った権利でした。つまり、家庭用ゲーム機や、アーケード用にテトリスを販売する権利は所持していないということです。
ところがここで、アンドロメダソフトが勝手な行動に出ます。「どうせ後からライセンスを得れば問題ないだろう」と高を括り、
パソコン向け以外のテトリスの権利までも、サブライセンスという形で他社へ認可したのです。
セガが取得したのも、このサブライセンスでした。正確に言うと、エローグ→アンドロメダソフト→ミラーソフト→アタリ→テンゲン→セガと、間にいくつもの会社を挟んだサブサブサブサブライセンスです。
(ちなみに、ファミコンでテトリスを発売したBPSも、セガと同じくテンゲンからライセンスを得ています)セガとしては、このライセンスで家庭用ゲームでの販売もできるものだと信じきっていたのです。
そんなある日、任天堂はゲームボーイでテトリスを発売するためにエローグにライセンスを申し込みます。エローグはそこで初めて、自分たちのあずかり知らぬところでテトリスが発売されていたことを知ります。
この事実に任天堂も驚きましたが、すぐさまエローグと交渉し、家庭用ゲーム機を含んだ関連ライセンスをすべて取得します。
激怒したエローグはアンドロメダソフトとの契約を即刻打ち切り、テトリスに関する全てのライセンスを剥奪してしまいます。
ライセンス所有の大本がその権利を失ったことで、当然ながらセガのライセンスも無効となってしまいました。よもや、自分がライセンスを受けたのは紛い物であったとは想像もできなかったでしょう。
ファミコン版のテトリスを販売していたBPSもライセンスを失うことになりましたが、新たに任天堂から許諾を受け、そのまま販売を継続することができました。しかし、セガにしてみればライバル会社の任天堂からサブライセンスをもらうわけにもいかず、
メガドライブ版テトリスは凍結せざるを得ませんでした。既にセガの倉庫には、完成したメガドライブ版テトリスのソフトが山積みされていたのですが、それらが日の目を見ることはありませんでした。
テトリスが発売できていれば、メガドライブはもっと普及していたかもしれません。こういう詰めの甘さは、やっぱりセガなのだなと感じます。

関連リンク